厳島神社の歴史
「美人弁天」は、厳島神社の御祭神、 市杵島姫命の分身です。
「全ての女性の健康・美・長命」を司る「美人弁天」には、数多くの言い伝えがあります。

足利には多くの弁財天があり、足利の領主である長尾氏によって保護されたことから、 「長尾の七弁天」と呼び伝えられている弁財天があります。
足利長尾の初代・長尾景人は、文正元年(1466年)足利の庄の代官職となり、初めは勧農城(現在の岩井山城址)に入りました。
その後、藤姓・足利氏の旧城である両崖山の足利城に移転し、以後、六代目・長尾顕長までの百二十余年の間、足利の地を統治しましたが、 天正18年(1590年)、関東の覇権者・北条氏が滅亡した時、豊臣秀吉によって亡ぼされてしまいました。
なお、三代・長尾景長は、城の守護神として弁天を心より尊敬し、城の周囲に七弁天を配神し、弁天近くに守兵を置き、城の守護にあたらせたと伝えられています。
これが、「長尾の七弁天」と言われるもので、その中のひとつが、古くは明石弁天と呼ばれ、今日は「美人弁天」として名高い厳島神社の弁天です。

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