「美人の国 足利」
足利は昔から織物の町で、美人の多い町といわれていました。
「足利の町を訪ねれば、いにしえ忍ぶ東の京都」といわれ、西条八十作詞の「足利音頭」の中には、「足利来るなら織姫さまの…、嫁に持つなら、足利むすめ、肌はやんわり……」と歌われていることでも有名です。

歴史も古い足利市は、室町時代には、足利長尾氏が、初代長尾景人から6代目顕長まで120余年の間、足利の地を統治していました。
長尾氏は城の守護神として、弁天(弁財天)を心より敬い、城の周囲に七弁天を配神し、守兵で守らせていたとのことです。
長尾氏が築いた両崖山の美しい山城には、清く、おいしい水が湧き出ていたとのことです。
両崖山のふもとには、とうとうと流れる清水(せいすい)が多く、その水を飲んでいた足利の女性たちは、自然に美しくなったといわれています。

その後、北関東随一の寺社文化と織物産業の隆盛の中、豊かな足利の町で育つ女性は、教養も備え、かつ洗練された身だしなみで、全国に有名な「美人」の多い土地として知られるようになりました。

その足利古来の歴史からも、厳島神社の「美人弁天」は、足利市にふさわしい神様とも言えるでしょう。
七福神唯一の女性である弁財天は、水を神格化した女神様です。
とうとうと流れる川が、弁舌・音楽を連想させ、学問や芸術にわたり、さらに財富や智慧を与え、かつ寿命を延ばしてくれる女神として信仰を集めたのです。

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